学生時代に奨学金を借りていることがコンプレックスで性格が歪んでいった話

奨学金

製薬会社でMR(営業)として働いているヒサシと申します。

今までブログ内にて奨学金についての記事を色々と書いてきましたが、今回は学生時代における奨学金エピソードです。

まず最初にお伝えしておきたいのは、この記事は奨学金を借りている学生さんを“励ますための記事”だということです。

ヒサシ
ヒサシ

筆者は奨学金を800万円も借りた人間ですので、奨学生が抱えている苦悩についてはよ~く知っています!

奨学金を借りて進学したということは、家が経済的に豊かではない場合がほとんどだと思います。

私自身、家が貧乏であることは学生時代における最大のコンプレックスでした。

俺だってなぁ、好きで奨学金を借りているワケじゃねーんだよ!

そうでもしないと大学に通えねーんだよ!

…などと、自分の境遇を呪ったこともありました。(汗)

念のため補足させて頂きますと、この記事をブログにアップした時点では、奨学金800万円の返済は終了しています。

それに伴いまして、奨学金や貧乏に対するコンプレックスは解消されました。

(※就職以降に奨学金800万円を全額返済した経緯は、下記の記事にまとめています!)

 

奨学金800万円を8年で全額返済した体験談!進学・就職・結婚などを全て公開します!

 

…しかしながら。

学生時代のことを思い返すと、奨学金に関するコンプレックスと共に過ごした4年間だったと思います。

とにかく、嫉妬・羨望・焦燥・劣等感といった負の感情が半端じゃなかったです。

でも、それって奨学金を借りている学生であれば、多かれ少なかれ持ち合わせている感情だと思うんですよね。

そこで、この記事の読者さん(特に現役の学生さん)には『奨学金を借りていると、こういうことってあるよなー』という軽い気持ちで読んでもらえればと思います。

ヒサシ
ヒサシ

学生時代に抱えていた“負の感情”について、今から本音をブチ撒けていきますよ!!

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劣等感に苛まれたヒサシの学生生活

私は学生だった頃、奨学金に加えてアルバイト代で学費・生活費を全て賄っていました。

飲食店のキッチン、ドラッグストアの店員、路上でのティッシュ配り、携帯電話ショップの手伝い、結婚式場のスタッフ、その他諸々の単発での日雇いバイト。

大学での実験や研究、長期休みなどのタイミング、就活のペースに合わせてこういったアルバイトを複数こなすことで生計を立てていました。

今振り返ってみると、心身共に相当な無理をしていたと思います。

高校まではバスケットをしていたので、可能であれば大学でも部活またはサークル等でバスケをしたいと思っていました。

しかし、入学してすぐに学業とアルバイトの両立で精一杯の状態になり、大学でバスケをすることは諦めました。(汗)

その両立生活ですら、騙し騙し継続しているといった感じでしたね。

体力的にも、精神的にも、時間的にも、常に限界までの挑戦を強いられていましたし、それを若さで誤魔化している感じでした。

私は理系の学部で生化学を専攻していたので、朝から晩まで実験・実習を行う日もあり、学業とアルバイトの両立生活はとてもキツかったです。

疲労困憊のままバイト先へと向かい、働いている最中に眠気でウトウトして怒られた経験も何度かあります。(汗)

土日もほとんどの場合、アルバイトのシフトを入れていました。

アルバイトは週5日~6日のペースで、夏休み・春休みの時期は週7日のペースで働いたこともあります。

(…と言っても、1日に2~3時間ほどのシフトも結構ありましたが。)

稼いだ金額は時期にもよりますが、毎月7万~10万くらいだったかと思います。

ハッキリ言って、単純な労働時間だけなら社会人に迫る勢いで働いていたと思います。

そんな生活をしている影響で、学生特有のイベントに参加できないことも多々ありました。

学科対抗の体育祭、文化祭、長丁場の実験後の打ち上げ的なイベント等々、アルバイトがあるため参加できず、悶々とすることも多かったですね。


自分は貧乏だから、同級生たちと同じようには過ごせないんだ。

生活のために、馬車馬のように働かなきゃダメなんだ。


…みたいな感じで、とにかく劣等感や疎外感が半端じゃなかったです。

自分でこういった文章を書いていて思うのですが、メチャクチャ暗い学生生活を送っていますね…。

でも、今からもっと暗いエピソードをたくさん紹介していきますよ!

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進学直後に同級生との経済的な格差を知る


入学して間もない頃、出席番号が近い同級生と雑談していたとき、私は奨学金を借りて進学したことを話しました。

そしたら、その同級生が…

奨学金を借りてるの?

ダサッ!

…と言いました。

その言葉を聞いて、私は頭の中が真っ白になりました。

え?

奨学金を借りているのってダサいことなの?

そのときは怒りとかよりも、驚きの感情の方が強かったです。

正直、その同級生に対してどのような言葉を返したか覚えていません。

(多分、適当に相槌を打ったのだと思いますが。)

ですが、その日の夜になってから振り返ってみると、沸々と怒りの感情がこみ上げてくるのが分かりました。


大学に通えているのだって、親が経済的に助けてくれているからだろ?

テメーが苦労して得たカネでじゃねーだろ?

なのに、どの口が『ダサッ!』なんて言ってやがるんだ?


クソがっ!!

気に食わねえ!!

俺だって好きで奨学金を借りているワケじゃねーんだ!

親の金で大学に通っているヤツが見下してんじゃねーぞ!


こんな感じで、怒りで中々寝付けなかったことを覚えています。(汗)

今思えば、その同級生にとっては反射的に口から出た何気ない一言だったのでしょう。

(もしかしたら心の底から貧乏人を見下していたのかも知れませんが…。)

同級生にしたって20歳も超えてもいない若造ですし、そんな人間にヒサシの奨学金やら生活費のことやらを理解しろというのも無理な話です。

しかし、当時大学1年生だった私には悪い意味で衝撃的な言葉でした。

高校までは同級生との経済的な格差をあまり意識せずに生きてきただけに、自分の価値観に大きな影響を与えたイベントでもあります。

そして、この一件を通じて学習したことがあります。

全ての人間がそうではないにせよ、世の中には奨学金を借りている人間のことを蔑む人間がいるということです。

さらに突き詰めて考えてみると、奨学金を借りている(借りざるを得ない)学生と、そうでない学生の価値観には、埋めようのない溝が存在する。

そして、その溝は互いの家における経済的格差が生み出している。

まさに『持つ者』と『持たざる者』です。

もちろん、私は後者でした。

だからこそ、周囲の同級生に対する劣等感・疎外感に苛まれる。

今思い出しても気分が暗くなると言うか、とても嫌な気持ちになるエピソードです。

その一方で、ある意味ですが教科書や座学からは得ることができない貴重な体験だったとも思います。

ちなみに、私が在籍していた学科には100人近い同級生がいましたが、大学4年間の中で私が知る限り、奨学金を借りている学生は数人しかいませんでした。

もちろん、私が知らないだけで奨学金を借りている同級生はもっと大勢いたとは思います。

しかし、奨学金を借りていることで蔑まれる可能性があることを知っている人間からすれば、あえて自分から奨学金のことをカミングアウトする必要はありません。

入学早々のタイミングで『奨学金を借りている学生に向けられる目』というものを知った私のように、もしかすると奨学金を借りている同級生たちは事情をオープンにしないように注意していたのかも知れませんね。

経済的に貧しいと心も貧しくなる

繰り返しになりますが、学業とアルバイト生活の両立は大変でした。

肉体的にも、精神的にも、時間的にも、終わりの見えないトンネルの中を歩いているような感覚です。

大学生活は4年間ですが、私にとってはその4年が悪い意味で長く感じられました。

さっさと大学を卒業して、早く社会人になって1人で稼げるようになりたい。

そんなことを大学1年生の頃からずっと思っていたくらいです。

毎日の学生生活でも、同級生との経済的格差を実感する場面が増えてきます。

仲良くなった同級生から学食での昼食に誘われても、自分は経済的にキツいと断って1人だけ外のベンチで100円くらいのパンを食べたり。

高校時代から履いていた靴が傷んで爪先部分に穴が空いても、靴を買い替える余裕もないことから仕方なくボロ靴を履いたまま通学したり。

長丁場のキツい実験が終わって同級生グループが打ち上げの飲み会を行う中、会費を払う余裕がないので参加を辞退したり。

その他にも、自分の貧乏を痛感するエピソードは枚挙に暇がありません。

奨学金を借りて、衣食住を切り詰めてもこのザマです。

その上、先述した『ダサッ!』のエピソードのように、奨学金を借りていること自体を嘲笑する連中までいる。

そんな環境での生活を1年、2年、3年と続けていく中で、自分の性格が徐々に歪んでいくのが分かりました。

心の闇』というか、それまでの人生で経験したことのない『ドス黒い感情』が自分の中に広がっていくような感覚でしたね。

再三のことで恐縮ですが、周囲の同級生に対する劣等感や疎外感が凄まじい。

そんな負の感情によって、大学に通う意義も見失いつつありました。


自分はなぜ大学に通っているのか?

自分にとって興味のある分野について学ぶためではないのか?

なのに、なぜ自分はここまでしてアルバイトに明け暮れているのか?


大学生活ってこんなに惨めで苦しいものなのか?

自分だって本当は学食でメシを食べたい。

アルバイトの頻度を減らして、勉強・趣味・遊びを満喫したい。


悔しい。

とにかく悔しい。

経済的に恵まれている同級生が羨ましい。

そして妬ましい、恨めしい、憎らしい。


…といった感じで、負の感情全開で20歳前後の青春時代を過ごしました。

こんな具合にコンプレックスを募らせ、同級生を意味もなく敵視するようになったのは事実です。

いや、同級生どころか、

日本全国の経済的に裕福な学生は全員クソ食らえ!

…みたいな勢いで敵視していました。

見ず知らずの人間を敵視しても意味がないことも頭のどこかで理解していましたが、感情面では全く納得していませんでしたね。

今振り返ってみても、凄まじい敵愾心だったと思います。

当時の心境を思い出しながらこの文章を書いていますが、暗すぎてスイマセンって感じです。(汗)

でも、これは紛れもない当時の本音でもあります。

日本一とまではいかないまでも、少なくとも学科内では一番暗い学生だったという自信があります。

このように、経済的に貧しいと心も貧しくなるということについて、身をもって学びました。

野心に満ちた就活生だった筆者

ここまでコンプレックス丸出しのエピソードばかりを紹介してきましたが、コンプレックスが良い方向に働いた場面もありました。

それが就活です。

当時はリーマンショックの影響で就職氷河期と呼ばれていた時期であり、内定が出るまでは精神的に辛く苦しい思いをしました。

しかし、コンプレックスをバネにしてガツガツとした行動をしていた時期でもあります。

妬み、嫉み、怒り、その他諸々。

こういった『ドス黒い感情』が私のメンタルを鍛え、就活に打ち込むエネルギー源となってくれたのは事実です。

 

奨学金の存在によってハングリー精神が鍛えられた体験談

 

…とはいえ、就活にはお金が必要です。

リクルートスーツ、靴、鞄、ネクタイ、靴下といった就活生の必携アイテム。

紙ベースの履歴書、証明写真などの代金。

セミナーや選考会場への交通費。

これらの出費を賄うため、とにかく必死でアルバイトを頑張りました。

その一方で、大学での研究活動も疎かにもできない。

(※当時、研究室では免疫細胞について研究していまして、定期的に私が細胞のメンテナンスを行う必要だったのです。)

この就活・アルバイト・学業の三重苦を、私は先述した『負の感情』をエネルギー源として乗り切りました。

そして、そのことに伴って性格の歪み方もさらに加速していきます。

就活時、つまり大学3年の終盤~大学4年の時期に差し掛かる頃には、自分の中で『貧乏』イコール『持たざる者』という価値観が固まっていました。

大学生活に限った話ではないが、世の中には『持つ者』と『持たざる者』が存在する。

だったら、自分は『持つ者』になってやる。

就活の選考が進むほど、こういった考え方が強固なものになっていきました。


とにかく稼ぐ。

経済的に豊かな生活をする。

今の貧乏生活から抜け出してやる。

そして、奨学金を1日でも早く返済する!!


こんな風に野心丸出しでギラギラした人間になっていました。

大学1年の頃からコンプレックスを抱え込んだ影響ですね。

…というワケで、就活が始まる頃には待遇重視の人間になっていたのです。

ハッキリ言って、大学で学んだ知識を活かせるかどうかは二の次といった感じで就活していました。

では、待遇重視で就活するとはどういうことなのか?

当時の私は『待遇が良い』イコール『王手企業』だと思い込んでいました。

それなりの給料で、それなりの生活なんかで満足してやるものか。

ここまで苦労して大学生活を維持してきたのだから、待遇の良い仕事に就けなければ割に合わない。

何が何でも、俺は王手企業に入社してやる!!

…みたいな感じで、完全に王手病になっていましたね。(汗)

 

就職活動で『王手病』に苦しんでいる学生に伝えたいこと

大手企業から内定が出ても安心してはダメです!安泰な会社なんて存在しません!

 

現実的な話をすると、卒業後に返済していく奨学金は800万円ほどになる見込みでしたから、その金額の返済できる待遇の仕事を探すことを最優先で活動していました。

逆を言えば、待遇を度外視した場合だと800万円の奨学金返済は非常に困難であることが分かっていました。

大学を卒業した後まで貧乏な生活はしたくない。

奨学金の返済に追われるような生活はしたくない。

だったら、自分の力で好待遇の仕事(内定)を勝ち取るしかない。


もし給料がショボい会社に就職したら、お先真っ暗じゃねぇか…。

クソが!

もう我慢ならねぇ!

俺は絶対に貧乏から抜け出してやる!


就活が上手くいかずに凹むたびに、私は自分に対してこんなことを言い聞かせ、そして奮起してきました。

いかがでしょうか?

まさに精神的・人間的に歪みまくっていたピークの時期だと自分でも思います。

一応、結果だけ見れば大手企業への内定はゲットできました。

 

医薬品卸のMS(営業職)として内定が出たときエピソードを紹介します!

 

その一方で、凄まじい視野狭窄に陥っていたと思います。

研究室の同級生たちと相容れない日々

内定が出て就活に区切りがついたのは大学4年の6月でした。

卒業まで残り9ヵ月ほどとなった頃、私は研究室での活動に興味が無くなっていくのを実感しました。

答えは単純で、いくら研究活動をしてもカネにならないからです。

1円のカネにもならない研究なんて馬鹿馬鹿しい。

こんな研究なんかより、就職後に備えて別の勉強でもした方が有意義だ。

早く卒業してカネを稼ぎたい。

当時の私はこんな風なことを本気で思っていました。

とにかく、カネ(奨学金)を借りて勉強するより、カネ(給料)を貰って働くことの方が圧倒的に価値のある行為だと信じて疑わなかったのです。


研究はテキトーでいい。

卒論もテキトーでいい。

自分にとって重要なのは、就職後に『どれだけ稼げるか?』だ。


こんな心境のもと、私は卒業後の新生活に備えるため、研究よりもアルバイトにエネルギー注いでいました。

今思えば、理系の学生としては凄まじいひねくれ者だったと思います。

世間や社会の厳しさに打ちのめされたからでもありますが、高校~大学の過程で学業・就職・カネなどに対する考え方は大きく変わりました。

こんなことを自分で言うのは妙ですが、大学生活の4年間でここまで価値観が変わるなんて、入学前は予想だにしませんでした。

高校時代は『大学でたくさん勉強して、それを活かしつつ良い会社に入れたら良いなぁ』くらいにしか思いませんでした。

しかし、先述した通り大学生活も終盤に差し掛かる頃には『働くのならカネを稼げる仕事でなければ意味が無い!』といった思考になっていました。

普段からこんなことばかり考えているせいか、私は研究室の中でも浮いていました。

特に、大学院へと進学して研究に打ち込もうとしている同級生とは折り合いが悪かったように思います。

理系かつ大学院に進学する学生の場合、家が経済的に裕福であることが殆どです。

大学院の学費もまた高額ですから、経済的に貧しい学生は私のように就職せざるを得ないのです。

実際、大学院へ進学した同級生が貧しい(あるいは奨学金を借りている)という話を聞いたことがありません。

(ただ単に私が知らなかっただけかも知れませんが…。)

そんな事情もあり、大学院へと進む同級生たちに対して『自分とは人種が違う』とさえ思いました。

しかも、大学院への進学希望者の中には『働いたら負けだと思う』などと言っているモラトリアム人間も一定数いましたので、そういった人とは特に相容れませんでした。

卒業旅行にて顕在化したカネへの価値観

大学4年の年明けである1月~2月くらいには、同級生たちは卒業旅行の話で持ちきりでした。

中には海外を長期旅行するために『親から○○万円借りた・もらった』と嬉々として話してくる同級生もいました。

彼らからそういった話を聞く度に、私は眩暈がするような不快感に襲われました。

その不快感の源は結局のところ『嫉妬』の感情です。

そのことは当時の私にとっても頭の片隅にはありましたが、嬉々として卒業旅行について語る同級生たちの存在が不愉快だったのは事実です。

ところで、こんな暗いエピソードばかりを書いている私ですが、研究室では浮いていたものの、孤立していたという程ではなく、親しくしている研究室の仲間は何人かいました。

こんな偏見まみれの私と仲良くしてくれる仲間がいたこと自体、今振り返ってみると大学生活4年間における数少ない美点だったように思えます。

さて、そんな仲間たちから卒業旅行の誘いを受けたものの、私は断りました。

正直なところ、コンプレックスで性格が歪んだとはいえ、私も人並みに卒業旅行への興味はありました。

しかし、卒業旅行には行けない。

行かない』のではなく『行けない』のです。

それはなぜか?

理由は単純で、カネがないからです。

いや、正確に言えば当時10万円ほどの貯金はあったのですが、そのカネは就職後の新生活のために温存しておきたかったのです。

つまり、貴重な貯金を卒業前に使うわけにはいかなかったのです。

それに、当時の私の価値観では『旅行』なるものに10万や20万もの大金をポンと出すような金銭感覚について全く理解できませんでした。

少なくとも、そんな大金の使い方は社会人になってから行うべきであって、学生の身分でやるようなことではないと本気で思っていました。

今思えば、頭が固すぎる学生ですね…。(汗)

自分でも劣等感がむき出しになっている考え方だと思います。(汗)

卒業旅行の誘いを断ったこと自体は間違いではなかったと思いますが、その決断に至るまでの過程は偏見に凝り固まっていました。

まあ、こんな具合に最後の最後まで同級生たちとの間に壁を感じたまま卒業を迎えました。

当時を振り返ってみると、そういった『』を生み出した原因は私のコンプレックスによるところが大きかったと思います。

その一方で、20歳そこそこの若造だった私には、そのコンプレックスを自分の中で消化するほどの精神的余裕はありませんでした。

これもまた、ある意味ですが教科書や座学では学べない体験だったと思います。

最後に:奨学生よ、コンプレックスに負けちゃダメだ!

私はコンプレックスまみれの4年間を過ごした人間ですが、現役の奨学生の皆さんには私のようにならないで欲しいと思います。

奨学金という要素によるコンプレックスは多かれ少なかれ、奨学生であれば持ち合わせていることと思います。

家が貧乏で奨学金を借りざるを得なかった。

親が進学に否定的で奨学金に頼らざるを得なかった。

自分の夢(目標)を追うために奨学金が必要だった。

奨学金を借りている理由は様々だと思いますが、コンプレックスに負けて自分から日陰に行くような学生生活を送ることは止めてほしい。

自分が生きている環境を呪っても、自分が苦しくなるだけです。

そして、コンプレックスに囚われてしまった場合、私のように暗い学生生活を過ごすハメになります。

どうか、この記事を読んでくれた奨学生に皆さんには、私にようにはならないで欲しいです。

勉強に励み、楽しむべき時は楽しむ。

そして、喜ぶべき時は喜ぶ。

奨学金を借りていようと、家が貧乏だろうと、気持ちの持ち方次第で明るい学生生活を送ることは可能なはずです。

私の学生生活における最大の後悔は『存分に勉強(研究)しなかったこと』です。

勉強(研究)に時間と労力を割くほどの余裕が無かったことが最大の要因ではありますが、心のどこかで勉強(研究)を蔑む感情もありました。

カネ』に執着し過ぎた結果、大学そのものを『就職予備校』のように認識してしまい、学業を疎かにしてしまったのも事実です。

今思えば、凄く勿体ないことをしたなぁ…と思います。(汗)

適度なコンプレックスはメンタルを鍛えてくれますが、度が過ぎれば学生時代の私のように偏見まみれの人間になってしまいます。

コンプレックスを消せとは言いませんが、コンプレックス上手く付き合っていくようなマインドを持つことは大切だと思います。

もし奨学金(または貧乏)によるコンプレックスで辛くなったら、この記事を読み返してヒサシという人間を反面教師にしてください。

陰ながら、奨学生の皆さんの学生生活が充実することを祈っています!

最後まで読んで頂き、ありがとうございました!

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