こんにちは、アラサーMRのヒサシです。
今回は製薬会社の本社が作った“コンテンツ”について、MRとして、そしてブロガーとして思っている事を記事にしてみました。
大体にして“コンテンツ”とは何でしょうか?
直訳すると『内容』とか『中身』という意味があります。
しかし、世界中でインターネットが普及して以降は、特に『情報の中身』を指す言葉として定着しました。
まあ、そんな小難しいことはさて置き…
製薬会社でのコンテンツと言えば、一体どんなモノがあるでしょうか?
代表的なところだと、自社医薬品のパンフレットや、説明会用のスライドなどが該当します。
さらに突き詰めていくと、添付文書やインタビューフォームなどの公式資材もコンテンツと呼べるでしょう。
その他には、医療従事者向けのWEBサイトなども“デジタルコンテンツ”と呼べる存在ですよね。
このように、製薬会社の社内では様々な形態のコンテンツが溢れています。
そして、MRはそれらのコンテンツを“使う側”の人間です。
その一方で、本社はコンテンツを“作る側”の立場です。
この両者について、コンテンツに対する接し方は大きく異なります。
私自身の経験上、各種コンテンツについて『あれがダメ!これがダメ!』などと批判的な意見を唱えるMRは珍しくないように思えます。
立場が違えば、状況や意見も異なるワケですから、まあ当然と言えば当然の話です。
ただ、私はこのブログの運営を通じて“コンテンツ作り”の大変さを知りました。
これって、極論を言えば“無”から“有”を創造する行為なんですよね。
そこには苦労・苦慮・苦心といった要素も付随してきます。
そんな風にして生み出された自分の創作物が批判されるのって、作る側の人間にとっては結構キツいんですよね。
少なくとも、私自身は心中穏やかではないです…(汗)
…というワケで、ここから先はブログ運営の経験を交えながら、コンテンツ作りに関する正直な気持ちを綴ってみました。
先に結論だけお伝えしますと、私は数年前と比べて本社スタッフへの見方が少しばかり変わりました。
なぜかと言うと、頑張って作ったコンテンツを批判された時の辛さを知ったからです。
コンテンツを“作る側”になって学んだこと
今さら言うまでもない事ですが、私もブロガーの端くれです。
そのため、ネット上での“コンテンツ作り”に関する辛苦は、一応それなりに知っているつもりです。
そもそも、このブログ自体がヒサシという人間によって作られたコンテンツなんですよね。
そして、このブログ内に格納されている記事の1つ1つもまた、コンテンツと呼べる存在です。
私が書いたブログ記事が読者の皆さんに対して、どのくらい価値提供できているのか…それは私には分かりません。
ただ、価値提供云々は抜きにして、実際にブログを運営してみて学んだ事が1つあります。
それは、自分独自のコンテンツを創造するのは凄く大変だということです。
このブログを例にしてみると、それはもう数えきれないくらいの失敗や試行錯誤の末に、ようやく現在の体裁が整いました。
自前でレンタルサーバーを契約し、独自のドメインを取得し、WordPressと呼ばれるシステムをインストールする。
そのようにして生み出されたのが、このブログです。
この文章を読んでいる殆どの人は『ドメインって何?WordPressって何?』といった感じで、もうこの時点で意味不明だと思います。
でも、ブログ運営においては、これでようやくスタートラインに立っただけです。
その後もブロガーとしてやるべき事は山ほどあります。
“プラグイン”と呼ばれるプログラムを導入して、色々な設定を行ったり。
ページの表示速度が早くなるように、容量が重い画像を圧縮したり。
記事本文だけでなく、サイドバーのレイアウトを調整したり。
インターネット上で検索されやすくなるために、SEO(検索エンジンの最適化)の対策をしたり。
そして何よりも、気合を入れて記事を執筆したり。
このブログ内にある記事の1つ1つが、そういった幾多の試行錯誤によって創作されたコンテンツです。
早い話、自分自身が手塩にかけた“作品”のようなモノなんですよね。
絵を描いたり、陶芸をやったり、プラモデルを組み立てたり等々、自分だけの作品を創造するのと基本は一緒なんです。
それだけに、たとえ不出来であろうと、自分の作品には愛着が湧いてくるもの。
“コンテンツ”という5文字の裏側には、作り手の熱意や気勢などが存在している。
ブログを通じたコンテンツ作りによって、私のそのことを肌で実感したのです。
コンテンツを作るのは大変ですが、その分だけ完成した時の達成感も一入です!
頑張って作ったコンテンツ(創作物)を貶されるのは辛い
自らが作ったコンテンツには、やはり思い入れが強くなるもの。
そんなコンテンツを貶され、批判され、誹謗中傷されたら、作り手の人間はどう思うでしょうか?
お察し通り、メチャクチャ辛いんですよね。(汗)
…と言うか、ぶっちゃけ悲しいです!(汗)
勿論、コンテンツに触れた第三者からの意見という意味では大変貴重です。
もしその第三者から酷評されるようなコンテンツであれば、そのコンテンツの価値は非常に低いと言わざるを得ません。
従いまして、コンテンツに対する意見は厳粛に受け止める必要がある。
たとえアンチ的な意見であっても、そこから目を背けてはいけない。
…という理屈について、私も一応、頭では理解しています。
しかしながら、どうしても感情が付いてこないのです。
先ほどお伝えした通り、自分が作ったコンテンツが貶されたりすると辛い気持ちになります。
例えばですが、このブログではコメント機能や【問い合わせフォーム】を通じて、読者さんから色々な感想(意見)が寄せられています。
仕事の参考になったとか。
いつも楽しみにしているとか。
面白い(興味深い)記事だったとか。
私にとっては大変ありがたいことに、ブログに寄せられたメッセージのうち、9割くらいは肯定的なものです。
これに関してはマジで感謝しています!!(涙)
しかし、残りの1割は中々辛辣だったりします。
こんなクソみたいなブログは畳んでしまえとか。
こんなバカみたいな記事は誰の役にも立たないとか。
インターネット特有の罵詈雑言とでも言いますか、とにかく容赦のない否定的なメッセージが届くこともあるのです。
以前、別の記事で『人間の脳は他者を批判することで快感を得る』という事について書きましたが、こういったバッシング系の意見投稿がまさに該当すると思っています。
脳科学者が語る“正義中毒”という概念が興味深い!誹謗中傷によって快感を得ている人間は多い?
お互いに顔も本名も知らないようなインターネット上において、自分への悪口をいちいち真に受けても仕方がないのですが…
何だかんだ言って、アンチ的な意見を目にすると、やっぱり精神的にはキツいんですよね。(汗)
敢えて前向きな捉え方をするなら、少なからずアンチが湧く程度には、このブログが沢山の人たちに読まれるレベルにまでに発展したとも言えますが…
それでもやっぱり、自分が作ったコンテンツを批判されるのは辛いものです。
でも、これもまたコンテンツ作りに付随してくる現実なのでしょうね。
万人受けするコンテンツなど、この世には存在しない。
何らかのコンテンツを世に出す以上、批判してくる人間は必ずいる。
インターネット全盛の現代社会においては尚更です。
ブログの運営を通じて、私はその事を学びました。
コンテンツ作りに励む本社スタッフの苦悩
ここまでお伝えしてきた通り、自分のコンテンツを批判されるのは辛いです。
私が趣味で運営しているこのブログですら、アンチ的なメッセージが届くと、それなりの精神的ダメージを受けますので。(汗)
では、日頃から製薬会社の本社でコンテンツ作りを生業としている本社スタッフ(例えばマーケティング部門など)についてはどうでしょうか?
“趣味”ではなく“仕事”としてコンテンツ作りをしている人たちは、どのような精神状態で働いているのでしょうか?
これは私の勝手な予想ですが、彼らの苦しみは生半可なものではないと思うのです。
自社医薬品を紹介するためのパンフレット。
説明会で使うための製品紹介スライド。
WEB講演会の案内状。
医療従事者向けに特化したWEBサイト。
これらのコンテンツに関して、何かにつけて批判的なMRは少なくありません。
…と言うか、むしろ多いかも?
私はMRが使うような資材作成の仕事をした経験がないので、ぶっちゃけ個人的な予想を語るしか出来ないのですが…
きっと、本社がコンテンツを作る時は“トライ&エラー”が当たり前だと思うのです。
そして、当然のことながら“仕事”である以上は納期も存在する。
そういった本社スタッフの努力によって生み出されたのが、MRが普段使っているパンフレットやスライドなのだと思います。
しかし、そんな本社側の事情など露知らず、MRは新しく出てきたコンテンツを酷評することも珍しくありません。
本社が作ったコンテンツに対する、MRからの手厳しい意見。(※クレームとも言う。)
現役のMRであれば、こんな感じで一度くらいは不満を漏らした事があるのではないでしょうか?
正直に言うと、このブログを開設する前は私自身もそんな感じでした。(汗)
『また本社が使えねー資材を作りやがった!』などと本気で思っていました。
でも、ブログ運営を通じてコンテンツ作りの一端を知ってからは、本社に対する見方が少しずつ変わってきたワケです。
本社でコンテンツ作りをしている人たちについて、いつの間にか感情移入できるようになったというか。
例えば、医師同士の座談会を資材化したパンフレット。
そのパンフレットを1つ作るために、本社スタッフはどれだけの試行錯誤を重ねていることか。
誤解を招かないように文章としての体裁を整え、写真や文字のレイアウトを調整し、さらに配色についても工夫を凝らしていることでしょう。
説明会のスライドを作るにしても、どれだけの時間と労力を費やしていることか。
グラフや表の見せ方について、コンプライアンスに抵触しないように、きっと様々な意図が盛り込まれているはず。
販売情報提供ガイドラインのせいで、下手な情報提供は出来ない世の中になっちゃいましたからね…
流行りのデジタルコンテンツ…特に、医療従事者向けのWEBサイトなんかもそう。
サーバーの負荷を鑑みたサイト設計。
各種ページの遷移(リンク)について導線を作る。
それに付随して、ページの表示速度をアップさせる。
ユーザー(医療従事者)にストレスなくWEBサイトを活用してもらうために、やるべき施策は腐るほどあるワケです。
私なんかはブログというメディアを運営している手前、その苦労がよく分かります。
それでもなお、現場のMRから各種コンテンツへの批判的な声は鳴り止まない。
このような状況下で、本社スタッフが気分を害さないワケがない。
『文句を言うくらいなら、ユーザーに喜ばれるコンテンツをテメーが作ってみろ!』などと、表には出さずとも内心では思っていることでしょう。
仕事で使うコンテンツについて、MRから『コレは使いにくい』という意見を発すること自体が悪いワケではありません。
現場目線での意見をMRから本社に伝えるのは、それはそれで大切なことです。
しかし、たとえMRに悪意が無いのだとしても、本社スタッフの目線で考えてみると、決して良い気分ではない場合も多いのでしょう。
理由はどうであれ“頑張って作ったコンテンツに対する否定的な意見”であることに変わりはないのですから。
こういった立場の違いが、本社と現場の“溝”を生んでいるのかもしれませんね。
製薬会社の現場と本社との間にある“埋まることのない溝”について語ってみる
最後に:本社が作ったコンテンツとの“付き合い方”について
MRとして働いている以上、本社が作ったコンテンツに不満を感じることはあります。
これがダメだとか、あれが変だとか。
いくらブログ運営を通じてコンテンツ作りの大変さを知ったとはいえ、社内に溢れている全てのコンテンツを許容できるかと言ったら、決してそんな事はありません。
本社発のコンテンツについて、異議を申し立てたくなる場面は今でもフツーにあります。
MRとして働き続けていく以上、きっと私の中でこういった不満がゼロになる日は来ないのでしょうね。
ただ、本社発のコンテンツを頭ごなしに批判するのは止めようと思います。
なぜかと言うと、コンテンツを批判された時の苦しみを理解しているからです。
もし私が本社のコンテンツに対して感情に任せて文句を叩き付けるのなら、それは私のブログに対して“バカ”“クソ”などの罵詈雑言を送り付けるような人間と何ら変わりません。
自分がされて嫌なことを、自ら率先して相手にするのもおかしな話です。
少なくとも、いい歳した大人が感情の赴くままに行うような事ではない。
よって、もし本社がMRにとって使いにくいコンテンツを作ったとしても、初っ端から批判するのは意識して避けようと思います。
ぶっちゃけ難しいかもだけど、まずは新しいコンテンツの“良い部分”を探すことを心掛けたい!
コンテンツを作る側。
コンテンツを使う側。
両者の間には越えられない壁があります。
これって、まさに“価値観の壁”とでも呼ぶべき隔たりなんですよね。
現代ではモノが溢れ過ぎていて、コンテンツの1つ1つに関して有難みを感じる機会が乏しい。
だからこそ、酷いことを平気で言うような人間も後を絶たない。
詰まるところ、そういう事なのだと思います。
ただ、そんな状況だからこそ、コンテンツの裏側に存在している“作り手の意図”みたいなものを、意識して汲み取っていく必要があるのかもしれません。
何はともあれ、こういった気付きを与えてくれたブログというメディアには感謝あるのみです。
最後まで読んで頂き、ありがとうございました!
コメント投稿はこちら
ひさし、アンチが出てきた頃、君が成功に向かってる時なんだよ
匿名さん
コメントありがとうございます!
アンチに負けることなく、これからもブログ運営を頑張ります。
これからも応援よろしくお願いします!