こんにちは、アラサーMRのヒサシです。
皆さんは『蟻とキリギリス』というイソップ寓話を知っているでしょうか?
世界的に有名な話ですので、この現代日本で生きている人であれば、まず間違いなくご存知だと思います。
暑い夏の最中、冬に備えて食料を蓄えるべく真面目に働く蟻と、未来のことなど全く考えずに遊び惚けているキリギリス。
やがて寒い冬が訪れた時、蟻は不自由することなく生活し、キリギリスは飢えて苦しむ。
要するに、この寓話は『真面目に働くことが大切である』『怠けていると報いを受ける』という教訓を説いているワケです。
そんなあまりにも有名なイソップ寓話ですが、ここ最近ですね、これをMRに置き換えて考える機会が増えてきました。
さて、MRにとっての“真面目”とは何でしょうか?
考え方は様々ですし、明確な正解は無いと思います。
…が、私個人の見解として“上司からの指示に忠実かどうか”が1つの答えである思っています。
多くの場合、上司の指示通りに動いていれば、MRとして一定の評価を得られるでしょう。
上司に忠実でさえあれば、少なくとも社内で冷遇されることは殆どないですよね。
あまりにも上司がポンコツな場合だったら話は別ですが…(汗)
早い話、上司の視点からは“蟻”に見えるように振る舞っておけば、不遇を被る可能性はグッと減るワケです。
これは上司の立場からすれば当然の話で、部下としては“キリギリス”よりは“蟻”の方が好ましいでしょうからね。
しかしながら、こうも思うのです。
上司にとっての“蟻”を演じることは、MRにとって本当に幸せなことなのだろうか?と。
『上司からの指示に忠実であること』=『将来に備えること』という図式は本当に成り立つのか?と。
かつて私の周囲には、上司に忠実なMRが幾人もいました。
しかし、そんな彼らも上司の意向に翻弄され、不遇を被った場面を間近で見てきました。
過剰な仕事量を押し付けられたり、理不尽な転勤を強いられたり、問答無用でリストラ要員にされたりなど、数えたらキリがありません。
何れにしても、“蟻”と“キリギリス”の明暗を分けるのは、上司の存在によるところが大きいと思うワケです。
その点について、自身のMR経験を振り返りながら考えてみたいと思います。
上司に従順なMRの行く末
上司からの指示を忠実にこなし、評価を上げる。
遊びたい欲求や、怠けたい誘惑を跳ね除け、上司との“付き合い”も欠かさない。
そんな若い頃の下積みの期間を経て、徐々にだけど確実に将来の地盤を固めていく。
その結果、順調に昇進&昇給し、年齢を重ねるにつれて裕福で安定した生活を手に入れる。
これが世間一般で“優等生”と評されるサラリーマン像かと思います。
当然ながら、これは製薬会社のMRにも当てはまる法則です。
基本的に、上司に従順なMRほど早く出世しますからね。
正確には“上司に従順ではないMRは出世できない”と表現する方が適切かもですが…
早い話、上司に従順なMRは、何だかんだ言って会社の恩恵に与れるものです。
多少のミスは大目に見てもらえますし、リストラの際もロックオンされにくい。
少なくとも、テキトーな仕事をしていて上司から疎まれているMRよりはクビになりにくいでしょう。
そんな状況下で働き続ければ、社内で安全圏に身を置くことにも繋がります。
不景気であっても路頭に迷うことなく、暖かい家で健やかに暮らせる。
上司に反抗しない見返りとして、堅実かつ安定した生活を享受できる。
唯々諾々とした姿勢を崩さない、いわゆる平和主義なMR。
ある意味、これは現代社会における“蟻”と呼べる存在かもしれません。
長年に渡って上司から降りてきた指示を忠実に実行し、その過程で上司からの信頼を確固たるものにする。
たとえ上司が気に食わないタイプの人間だとしても、表向きは従順なフリをしておき、角が立たないように日々の仕事をこなす。
場合によっては面従腹背を決め込んだとしても、取りあえず上記のように行動しておけば、結果的にMRとしては一定の成功を得られるでしょう。
しかしですね、そこに落とし穴があるとも思うのです。
先述した通り、上司に従順だったMR全員がサラリーマンとしてのハッピーエンドを迎えているかと言うと、決してそんなことはないですからね。
上司は万能ではない
そもそも、MRの上司とは何者でしょうか?
神でもなければ仏でもない、ただの人間ですよね。
社内的な言い方をするなら、人事権を持っている中間管理職に過ぎません。
つまり、サラリーマンという括りで見ればMRと何ら変わらないワケです。
所長、支店長、部長…彼らは“聖人君子”などでは決してありません。
もちろん、どんな製薬会社にも能力・人格ともに傑出している管理職がいることは否定しません。
しかし、それはあくまで一部に過ぎないと思うのです。
MRの上司(中間管理職)だからといって、彼らが公明正大だとは限りません。
それどころか、私利私欲のために動くことだってありますよね。
人間である以上、ひとかけらの邪心も無いなんてあり得ない話です。
好き嫌いで部下を評価したり、気に食わない部下(MR)を更迭したり、そこには多かれ少なかれ上司なりの“私情”が見え隠れします。
そんな上司に対して忠誠を尽くすことが、MRにとって本当に良いことなのでしょうか?
誤解の無いようにお伝えしておきたいのですが、私は上司を軽んじたり、蔑ろにすることを肯定しているのではありません。
上司という存在に対して、過剰なまでに傾倒することを疑問視しているのです。
繰り返しになりますけど、上司とて単なるサラリーマンです。
当然ながら、部下の人生を保証するだけの力量なんてあるワケが無い。
そのような人間を盲信して、自分の未来なり将来なりを委ねることは、実はとても愚かなことではないでしょうか?
…とまあ、ある種の思考停止に陥っては駄目だと思うワケです。
もちろん、上司との信頼関係を築くのは良いことだと思いますよ?
上司との関係が良好であれば、仕事を円滑に回せるのは間違いありません。
外勤にせよ、内勤にせよ、上司の存在は大きく関わってきますからね。
世の中には“ボスマネジメント”という言葉もあるくらいですから、上司との関係構築自体は否定しません。
でも、上司のことを過信するのはやっぱり駄目だと思います。
上司の考え方が100%正しいとは限りませんし、仕事上の判断を全て上司に丸投げするのは危険だと思いますし。
…なんてことを私は考えているのですが、そのせいか“上司盲信型のMR”には違和感を禁じ得ません。
何と言うか、身も心も上司に捧げるかの如く、身を粉にして働いているMRっているじゃないですか。
こりゃ“尊敬”を通り越して“崇拝”の域に達しているのでは?
…などと思うくらいには、上司に対して従順すぎるMRもチラホラ見かけます。
必要以上に上司を崇め奉ることが、そのMRにとっての処世術なのかもしれませんが…
そこまでして上司に尽くすモチベーションとは、将来的に“キリギリス”ではなく“蟻”になりたいという一心故なのでしょうか。
“盲目”なMRはキリギリスと同じ
上司からの指示を絶対視する。
上司の意向に反する行為は厳に慎む。
そんな滅私奉公が100%悪いとは言いませんけど、先ほど述べた通り、上司の考え方が全てにおいて正しいとは限りません。
例えばですが、会社が新薬を発売したとします。
担当エリア内にA病院とB病院があったとして、どちらを優先して攻略するか?
そう考えた時に、上司からこんな指示されたらどうでしょうか?
しかしながら、A病院では宣伝許可を取るのに時間がかかる。
薬剤部での難解なヒアリングを突破しないといけない。
薬審のタイミングなどを含めて、採用までの時間を逆算すると半年以上かかるときた。
そんな悪条件が揃っているのなら、B病院から手を付けるのもアリですよね。
MRには“早々に売れそうな施設”の匂いを嗅ぎ取る能力も必要なのです!
でも、頑固なタイプの上司だと、そういったやり方を認めてくれなかったりもします。
…で、上司の言う通りにA病院に注力していたら、案の定と言うべきか新薬の売上が立つのが遅れてしまった。
そして、いつの間にか支店内で売上ワーストMRになっていた。
売上の低さを会議で責められ、査定は大幅に下がり、精神的にも辛い思いをする。
…とまあ、こんな感じでMRとしては肩身が狭い思いをするワケです。
私のMRとしての経験上、低市場先でも売上がドカンと跳ねる可能性はゼロではないと思っています。
よって、もしB病院を優先して活動していたら、少なくとも支店内でワーストMRになることは避けられたかもしれません。
この場合、元を辿れば上司の指示に忠実であろうとしたことが仇になったとも言えます。
まあ、今ここで書いたのはあくまで仮定の話ですが…
私が声を大にして主張したいのは『何でもかんでも上司の言う通りに動くのは危ない』ということです。
思考停止して他人の言う通りに動くのは、ある意味では楽なことです。
しかし、その“楽”がMRを“キリギリス”に変えてしまうのかな…とも思うのです。
こんなことをやって時間だけが過ぎていくと、最終的には自走力が乏しい盲目のMRになってしまうのかなと。
自分の命令に忠実なMRは、確かに上司目線では “可愛い部下”に見えることでしょう。
しかし、そうすることがMRの血となり肉となるとは言い切れない。
いざとなれば部下を切り捨てるタイプの上司もいることを考えれば、どう考えても得策とは言えないですよね。
時と場合によりますけど、どれだけ上司に対しての忠誠心を持っていようが関係ないワケですし。
それこそ、製薬会社が頻繁に行っているリストラが良い例です。
令和以降でしたら、ヤンセンファーマの【ポジションクローズ】が特に有名でしょうか。
MRとしての実力が身に付かないまま、大した経歴やスキルもなく、過酷な転職市場へと放り出される。
そして、寒空の下で職を求めて彷徨うことになる。
まさにキリギリスそのものです。
上司に忠実であることが蟻だと思っていたら、実はキリギリスと化しているかもしれない。
そんな風に思うことも増えてきた今日この頃です。
最後に:意外とキリギリス型のMR人生も悪くないかも?
この記事では蟻だのキリギリスだの語ってきたワケですけど、ここ最近は『キリギリスも案外悪くないのでは?』なんて思うこともあります。
もちろん、良い意味でのキリギリスですけどね。
例えば、20代~30代のうちはMRとしての仕事をテキトーにこなしつつ、MRの特権とも言える【長期休暇】や【営業日当】といった甘い蜜を吸いまくる。
日々の仕事はすぐに切り上げて、連日連夜のようにアフター5を満喫する。
当然ながら、上司の誘いは全てシャットアウト。
上司からの評価は低いけど、MRとして必要最低限の仕事はこなす。
そんなこんなでクビにならない程度に緩く働きつつ、業務上の致命的なミスは犯さない。
リストラの危機が迫ってきた40代~50代以降は、この業界に見切りを付け、割増退職金をゲットしてトンズラし、第二の人生を踏み出す。
いかがでしょうか?
若い頃だけを見ればキリギリスそのものですし、傍目から見れば模範的なMR像だとは言い難いですよね。
しかしながら、意外とこういったタイプの方が人生を楽しめる気がします。
MRという組織人として見た場合は誉められなくても、人生の満足度という観点から見ると、また違った捉え方ができると思うのです。
修行僧のようにストイックに仕事に打ち込み、上司に従順な姿勢を貫いてみたところで、イソップ寓話の蟻のようになれるとは限らない。
それどころか、上司なり会社なりに使い潰されて、人生の満足度が下がる可能性は十分にあり得ます。
部下の忠誠心に付け込む上司は一定数いますからね…
それならば、いっそ仕事に割くリソースは必要最低限にしておき、趣味や娯楽を謳歌する方向に舵取りするのも1つの生き方なのではないか?
そんな風に思ってしまうのは、自分だけでしょうか。
かくいう私自身は典型的な蟻タイプだと思いますし、それなりに真面目に働いている自負しています。
ですが、いや、だからこそキリギリスのような生き方に憧れてしまうのかもしれません。
どんなMRが“蟻”で、どんなMRが“キリギリス”のなのか?
それは個々人によって異なるワケですが、まあ最終的には自分にとって苦痛が少ない方を選べば良いのかと思います。
仕事を真面目に頑張っていて、上司からの信頼も厚く、MRとしての評価も良い。
そんなMRは社内的には蟻かもしれないけど、世間的にはキリギリスかもしれない。
若い時分ならともかく、40代~50代になってから“あそこまで身を粉にして働く必要なんて無かった”などと嘆き、自分の人生を悔いる日が来るのかもしれない。
そのような結末は、自分だったら御免被りたいです。
何れにしても、MR人生を終える時に後悔だけはしたくないものですね。
最後まで読んで頂き、ありがとうございました!
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